アンゴラ紛争に関する説明
JCBL ランドマイン・リサーチャー
大島義幸
アンゴラはアフリカ大陸の南西部、大西洋に面した国です。石油やダイヤモンドといった資源に恵まれ、潜在的にアフリカ大陸の中でも最も豊かであるはずのこの国は、1975
年のポルトガルからの独立抗争の前後から激しい紛争に苛まれ、苦しめられてきました。特に、1975
年の独立以降政権を握っているアンゴラ解放人民運動(MPLA)と、ジョナス・サビンビというカリスマ的リーダーが率いるアンゴラ全面独立同盟(UNITA)との戦いは、冷戦時においては米国、ソ連、南アフリカ、キューバといった東西の大国の加担によってその激しさを増し、冷戦後もコンゴ、ナミビア、ザンビアといった周辺国をも巻き込んで、二度にわたる和平調停やUNITA
への国連制裁にもかかわらず現在まで続いています。
MPLA、UNITA それぞれイデオロギーや豊富な資源による経済的利益、あるいは民族性の違いをバックボーンとして支持を得続けていますが、旧来MPLA
は主に
都市部を、そしてUNITA は主に南部と農村部において勢力を収めてきました。
一方で、アンゴラ紛争はモザンビーク紛争と同じくLow Intensity Conflict と呼ばれ、相対する二つのグループが常に向かい合わせで激しく戦闘を行うのではなく、大量の地雷埋設によって敵軍の進行を防いだり、伏兵襲撃のように相手を待ち伏せてゲリラ的に奇襲攻撃をしたり、あるいは農村を襲撃して農民を虐殺し、それがあたかも敵軍が行ったかのように見せかける偽装無差別襲撃等を駆使し、僅少でも長期的に相手にダメージ与える戦闘を繰り返しています。
しかし他方でこのような長期にわたる紛争の影響により国内の治安は悪化し、地雷による被害、兵士による市民への無差別的な収奪や虐殺といった人権侵害は後を絶ちません。また、地雷や伏兵襲撃によって都市部と農村部との往来が断絶し、農村がますます孤立する中で食糧不足も深刻化し、危険を覚悟で都市部へ逃げる国内避難民や、他国へ逃げる難民の数もますます増えてきています。日本ではメディアに全く取り上げられないことから、忘れられた存在となってしまったアンゴラですが、地雷や人権侵害の酷さに関しては、カンボジアやボスニアと同様、目を離すことが出来ない国の一つです。
アンゴラにおける地雷状況:2000 年8 月現在
(ノルウエイの民間援助団体、“NPA”の報告書「Landmines in Angola」より)
翻訳:JCBL ランドマイン・リサーチャー大島義幸
1.アンゴラにおける地雷状況の概観
1−1 総論
30 年以上も紛争が続くアンゴラにおいて、国際社会は地雷廃絶を目的として様々な努力を試みてきた。1992年に和平が訪れた後、国際機関によって地雷除去や紛争解決のプロジェクトが実施されたが、1994
年のルサカ和平協定以降も紛争は継続し、結局のところ実質的な和平は訪れてはいない。軍事紛争の再発がそれまでも不安定であった人道援助と対地雷活動の進展をさらに遅らせ、いくつかの州都を含む地域で戦火が再び上がった。これによって、多くの人々が避難民として大都市に逃れ、さらに多くの問題を引き起こしている。
政府軍によるアンゴラ全面独立民族同盟(以下、UNITA)への猛攻撃によって、それまでUNITA
勢力下にあった地域が政府軍支配下に収まり、1999 年末にかけてはアンゴラにおける軍事状況は飛躍的な改善をみせた。紛争は継続したものの、政府軍の強さが明るみに出たことによって和平への一筋の光が見えたが、それは結局一時的なものに終わってしまった。2000
年の大半にかけては、一般的な戦争状況からゲリラ戦へと戦況が変わり、特に農村部が危険地帯と化した。
過熱する戦況を逃れていた多くの人道援助機関や市民は、1999 年9月から10 月にかけて行われた政府軍による攻撃の後、政府軍の支配下に収まった地域における統治の正常化によって、本部があった場所や故郷、出身地、新たなる土地への帰還や再定住を始めたが、何度となく再発する紛争によってこの動きも沈滞化してしまった。このように比較的安定した状態が一時的なものに終わり、帰還や再定住、そして避難が繰り返されるのが、ここ数年来アンゴラ紛争で見られる特徴であり、今日250
万人、
全人口の約20%の人々が避難民として人道援助機関にその生存を頼らざるをえない状況になっている。
他方、幾つかの地域においては中央政府による統治が再開されたが、未だに孤立状態にある地域や破壊されたままの橋や道路、今でも続く兵士による破壊活動や地雷の恐怖など、市民を直撃する問題は多々残されている。軍事状況は未だに緊張が続いており、兵士による市民への伏兵襲撃などは全国で頻繁に起こっている。地雷による被害も、特に最近まで紛争が続いていた場所や、国内避難民の数が増えた場所において報告されている。
1−2 地雷
州都周辺の治安状況の漸次的な改善によって、地雷被害の状況も改善の方向に向かっていると思われていたが、小規模な武装勢力によるゲリラ戦の活発化によって事態はかえって悪化している。これら武装勢力による破壊活動は、円滑な人道援助活動の大きな妨げとなっている。
対戦車地雷の埋設や、市民・農民への伏兵襲撃、略奪、誘拐などは今日のアンゴラにおいては日常茶飯事と化している。地雷は全国の至る所に埋設されており、除去後も再度埋設されているため、事態が一向に改善する様子も無い。地雷は主に市街地へと続く主要道路や、農村や隔離された住宅地などへと続く道路などに系統的に埋設されており、これが中心都市と周辺都市を分断化しているだけでなく、より良い生活環境を望み大都市へと逃げる避難民の増加につながっている。
1−3 調査チームとその役割
地雷調査活動は今日の人道援助活動において重要な役割を果たしているが、特にアンゴラのような紛争が続く国においては、地雷除去プロジェクト実施前の事前調査は不可欠である。この事前調査によって地雷が埋設されている場所の確認やマッピング等の地雷関係の情報収集を行うことができる。ゲリラ戦と地雷の埋設行為は、ナミベ州を除く18
州の殆どで紛争再発後も続けられており、調査チームは特にこれら州のうち、紛争状態にある地区や最近政府の勢力下に収まった地区を中心に調査を進めている。このような前向きの努力にもかかわらず、地雷の有無が確かめられる前に国内避難民が移動を余儀なくされ、事故につながるケースが多々見られる。例えばモシコ州のルエナ市では、州政府が国内避難民キャンプ(サンドンゴ・キャンプ)を地雷未確認地帯に設置してしまったケースもある。
アンゴラにおいて現在調査を行うことができる団体は非常に限られており、ハロー・トラスト(英国)とNPA(ノルウェー)、そしてマイン・アドバイザリー・グループ(英国)のみである。上記3
団体の調査チームは現地の自治体と協力し、地雷が埋設されている地区の特定を行なっている。いくつかの州都には農村からの国内避難民が集中しており、農民にとって重要な耕作可能な土地の不足が問題となっている。こうした問題と共に、調査チームはこれら避難民が地雷が埋められている危険性のある地区に流入しないよう、調査を特に州都周辺で行なっている。州都周辺地区は最近の紛争再発以前は比較的人口も少なく安全な移動が可能であったが、紛争再発以降人口が避難民の流入と共に急激に増え、さらに地雷の埋設によって居住や安全な移動が制限されてきている。
調査チームのもう一つの重要な役割は、地雷除去グループと協力し、人道的地雷除去を実施する上で優先的に行われるべきタスクを明確にすることである。特に、地雷除去を行なうことによって、社会経済的に高いインパクトを与えると見込まれるコミュニティの特定化、すなわち耕作可能な土地があり再定住が可能な地区の選定、さらにそのような地区における道路や橋、電力、水道などのインフラの整備・修復等のタスクの明確化等が、調査チームの主な仕事として挙げられる。
1−4 現況
紛争の再発から時間がかなり経過していることもあり、軍事状況や政治状況、あるいは地雷の現状に到るまで、様々な憶測や噂が流れている。政府軍とUNITA
との戦闘や、一般市民や人道援助団体職員への略奪、強盗、襲撃行為等は日に日にその数が増しており、これが特に人道援助団体の農村部からの撤退、さらには州都やア
ンゴラからの一時的な撤退を招いている。このような人道援助団体の不在が情報の欠如を引き起こしており、特に内陸部における現況については全く伝わってきていない。州都における国内避難民の増加と配布食糧の略奪・強盗行為によって、食糧不足も問題となってきており、特にクイト、ウアンボとマランジェは長く戦闘状態にあったため、問題も深刻である。
アンゴラにおいて現在活動している人道地雷除去援助団体は、国内避難民や地元民が集中し、今後も継続的に地雷の危険にさらされると予想される地区を特にその対象としている。これら団体の活動は、軍事的・政治的状況から中立した形で進められており、地雷や不発弾(UXO)の危険にさらされている人々の生活改善に貢献してきている。しかし、人道援助団体が一旦地雷を除去した場所に新たに地雷が埋められるケースや、以前地雷が埋められていなかった場所に地雷が埋められるケースが絶えず、これが大きな問題となっている。このような新たな地雷の埋設は、人道法の侵害であるばかりでなく、ドナーによる紛争中の人道地雷除去活動への資金援助の正当化を妨げる要因となっている。この問題に対してアンゴラ政府は、対人地雷全面禁止条約を批准する決議をアンゴラ国民議会において行い、ドナーからの支援を継続して求めていく構えを示した。
調査チームは州都とその周辺部を特に優先しており、また国内避難民の数が多い場所や、既に地雷除去チームが活動を行っている場所の近辺も調査の対象としている。調査チームは幅広く情報を収集するため、内外の情報ネットワーク、例えば国内・国際NGO
や国連機関、警察、軍隊、中央・地方政府、民間企業経営者、パイロット、地元民や避難民と協力し、現状に基づいた情報の収集に努めている。さらに、国全体の状況を把握するよう努めており、安全に人道援助活動を行える地域の特定化や、地雷再埋設の状況の調査も同時に行なっている。これら調査チームが収集した情報は、地雷除去活動を分析することに役立っているだけでなく、地雷除去活動自体の効率的かつ円滑な運営にも役立っており、結果として農村部の人々の生活改善に重要な役割を果たしてきている。
しかし1998 年12 月の紛争の再燃化は、調査自体をも遅らせる原因ともなり、1999
年から2000 年にかけては調査活動内容の変更を強いられることとなった。英国のNGO
であるマイン・アドバイザリー・グループ(以下、MAG)は、治安状況の悪化のため98
年にモシコ州での調査を中止したばかりでなく、各州での調査自体を中止せざるを得ない状況に立たされた。一方、ハロー・トラストはビエ州とウアンボ州での活動を継続し、ケア・インターナショナル(米国)は98
年にクアンド・クバンゴ州から撤退したが、翌99 年クイトでの調査を実施した。NPA(ノルウェー)は1999
年と2000 年に11 の州を回り、国内避難民が集中している地域や戦闘の激しかった地域、あるいは耕作可能な土地が少ない地域を特に集中して調査を行なった。
この調査の主たる目的は、以前調査を行なった地域で新たに地雷が埋設された地域の確認と、特に優先的に地雷除去が行われるべき地域の特定であった。一方で、各々の地域も状況の変化が激しく、緊急援助の段階を過ぎて開発援助的な活動が行なわれている地域や、戦争の影響を全く受けていない地域も存在するが、他方で上記の調査によって過去18ヶ月の間に新たに地雷が埋設されていた事実も確認された。しかし、地雷は全国のあらゆる地区に無差別に埋設されてはいなかった。これは、1999
年と2000 年に行われたレベル1の調査によると、以下のように説明できる。
@ 地雷の再埋設の実情は思っていたほどひどくはなかった。政府軍、UNITA 共に地雷を新たに埋設していたのは確かであるが、噂によって事実関係が歪められていたことも確かである。つまり、報告されている地雷関係の被害の4
分の3 が以前から埋められていた地雷によるものであり、被害の多くは国内避難民が地理的に未知な地域に立ち入った時か、あるいは州都周辺部の安全地帯から出て、危険と知っていても供給難から食糧や焚き火用の枝木を取りに行った時に起こっている。
A 政府による新たな地雷の埋設は、既に地雷が埋められている、特に軍事施設や水力発電所など戦略的に重要な場所の周辺で、既存の地雷の補強をその目的として行われた。アンゴラ政府はこられ地雷は紛争解決後に除去するとしながらも、新たに地雷を埋設した事実を認めている。
B 調査が行なわれた当初は、空港や新たな戦闘場所、例えば地方都市周辺部へ続く道路等の限られた場所でのみ地雷の除去が行なわれた。
C 最も地雷の被害にあるのは、ウアンボとビエの前線地帯を中心とする「高原地帯」、マランジェとその周辺の道路網、UNITA
勢力下にあるモシコ州のいくつかの地区、ウイジェ州内の「隔離状態」にある地区、ウイジェとネガージェを結ぶ最近幹線となった道路、キレンゲス‐ションゴロイ‐クバル‐ガンダ周辺、そしてクネーネ州州境界線であり、さらにビエやクアンド・クバンゴ等その他いくつかの地区では、軍事上の出来事とは余り関係の無い地区で地雷の被害に遭っている所もある。しかし地雷は全国どこでも簡単に手に入れることができる。例えばアンゴラ南部では牛泥棒撃退のために地雷が埋設してある場合もある。
D アンゴラ全18 州の中でも紛争にあまり影響を受けず、新たな地雷が埋設されていない地区もある。ウイラ州西部と南部、クネーネ州、そしてナミベ州は比較的状況も穏やかで安定しており、現時点で治安悪化の恐れも無い。北クワンザ州南部と南クワンザ州北部も、長期的な除去作業を続ける上で安全な地区と言える。大西洋沿岸地区もあまり被害に遭っていないが、南クワンザ州とベンゲラ州の州境は昔から伏兵襲
撃行為が行なわれており、ここは治安上あまり良くない。これら紛争の被害を直接的に受けていない地区は、一方で最近の国内避難民の流入の増加によって間接的に紛争の影響を受けるようになってきた。限界に達しつつある避難民数の増加により、襲撃や略奪などの犯罪行為の増加を引き起こしているからである。
E 地雷が埋設されているとされる地区の8 割は戦略上何の価値も無く、したがって新たに地雷が埋設される危険性も無い。少なくともこれら地区の半数はまた、軍事行為の影響を受けない地雷除去作業上安全な地帯に存在している。略奪行為による治安の悪化は予期することは出来ないが、戦争の影響を受けている地区で発生しやすいようである。
レベル1調査チームは、98 年に紛争が再発して以来現地でその稼動性を生かしながら活躍しており、上記の情報を収集する上で大いに役に立つ存在であり続けている。この調査チームは以前、州レベルで行われた調査にも参加しており、その経験から既に調査が行われた地域についても意見を述べる立場にもある。調査における情報源は、警察や政府軍、省庁等の中央政府機関、地方自治体、NGO、国連機関、民間企業等の様々な組織であり、対地雷活動を行っている諸機関に、全国の地雷状況を把握するに十分な情報を供給している。以下は州レベルでの調査結果を要約したものである。
1999 年末の時点で包括的レベル1調査が行われたのは、ベンゴ、ベンゲラ、カビンダ、北クワンザ、南クワンザ、クネーネ、ウアンボ、ウイラ、南ルンダ、マランジェ、ナミベ、ウイジェ、ザイーレの各州である。
部分的にレベル1調査の対象となったのは、ビエ、クアンド・クバンゴ、モシコの各州であり、これらの州についてはいくつかの幹線道路や場所についてさらに調査を行わなければならない。北ルンダとルアンダについては、いまだ包括的な調査は行われていない。1999
年末の政府軍による猛攻によって、それまで反政府軍下にあった地区は政府軍下に収まったが、逆に反政府軍の全国各地への分散と小グループ化を招く結果をもたらした。収集された情報によると、これら反政府軍のグループは伏兵襲撃や地雷の埋設などの活動を行っているという。反政府軍はゲリラ戦に徹しており、州都とその周辺地域を結ぶ幹線道路の切断をその主な活動の柱としている。一方、政府軍は軍事的な戦闘態勢を守っており、政府軍の勢力下にある地域の防御を主に行っている。地雷に起因する事故も起こっており、証拠づけることは困難だが、これらの事故は新たに埋設された地雷によるものと思われる。
1999 年に行われた調査では、マランジェ州において政府軍が埋設した地雷の場所が記されていたが、これは公の情報ではなくまた正確な情報でもなかった。さらに、2000
年3 月、政府軍のエンジニアはルエナ周辺の戦略的に重要な場所に地雷を埋設したことを明らかにしたが、正確な場所までは示さなかった。1999
年8月にワシントンDCで地雷会議が行われた際、エルダ・クルズ氏は政府軍が以前地雷が埋められていた発電所周辺や、軍事上または政治上戦略的に重要な場所に戦闘の焦点を当てていることを公表し、新たに埋設された地雷についてはその場所を記録し、後に除去するにあたって政府が一切の責任を負うことを明らかにした。さらに、地雷の埋設は敵である反政府軍からの防御を目的とすることも述べた。
マランジェでは2000 年4 月にカンガンダラ道路南側での地雷事故が報告されたが、これが新たに埋設された地雷によるものとの憶測が流れた。これは、この道路が一般市民や人道援助機関によってそれまで使われており、またカンガンダラで栄養プログラムを行っている国境なき医師団(MSF)もこの道路を頻繁に使ってい
るという事実から発した憶測であった。しかしながら調査によると、古い地雷が雨季に路面に露出し、爆発したとの結果が出た。それまで道路脇に地雷が埋められていたことは良く知られており、それが道路の中央部分まで押し出されてきたものとの報告であった。現在では道路脇の地雷は除去されている。しかし、カンガンダラ道路北側での地雷事故は、新たに埋設された地雷によるものである。これは、紛争再発以前の調査では地雷の存在は確認されていないという事実と共に、国連機関やNGO、市民らが、1998
年12 月にマランジェが紛争再発後に初めて攻撃されるまで頻繁に使っていたという事実がその根拠となっている。
2000 年6 月には、ウイラからベンゲラ州へと続くオケ‐キランジェス道路で、対戦車地雷の爆発が報告された。この道路は遠くはナミビアから首都のルアンダまで続く道路であり、1998
年と1999 年には市民やNGOが全く問題無くこの道路を使用しており、地雷は皆無であった。クレイモア地雷(指向性散弾地雷)を使った伏兵襲撃行為によってこの道路はあまり使用されなくなったが、それでも市民や政府軍によって未だに使われている。2000
年4 月に政府軍の司令官であるカプカ氏が、南クワンザ州のセレス‐カランダ道路で地雷事故に遭い死亡した。彼はNPA
との連絡役として活躍していた1997 年に調査チームと共にこの道路の調査を行い、地雷が無いことを確認したばかりだった。この道路は今でも地元民によって使われている。
2000 年7 月にはUNITA によって埋められたとされる対戦車地雷が、ルエナ‐カマノンゲ道路で爆発した。爆発当日には州政府代表とNGO
職員を含んだVIP代表団がその道路を使用する予定であり、他の理由でこれがキャンセルされたばかりであった。この地雷は先の一行を狙って埋められたものであると思われる。ルエナに地雷除去チームを置くNPA
は、州政府にこの道路を調査する為の許可を申請したが、却下された。また、8
月17 日にも同じような事故が同じ地点で起こったことが報告されている。
同年7 月9 日にはクアンド・クバンゴ州のメノンゲ‐カイウンド道路で、また11
日にはメノンゲ‐クイト・クアナバーレ道路でそれぞれ対戦車地雷が爆発した。NPA
は1998 年に調査を行った時点でこの道路を使用している。他のNGO も1999 年にメノンゲ‐クイト・クアナバーレ道路を全く問題無く使用していた。しかし、クアンド・クバンゴ州にあるすべての地雷がUNITA
によって同州とモシコ州での政府軍の攻撃をかわすことを目的として新たに埋設されたものではない。メノンゲ‐クイト・クアナバーレ道路では地雷の存在は確認されていないが、道路脇では1998
年に地雷の存在が確認されている。ただ、上記の地雷事故は道路の真ん中で起こったものであり、この事から爆発した地雷が最近埋められたものであることは疑う余地が無い。また、メノンゲからクシを経由してビエそしてウイラ州へと続く道路でも地雷事故が報告されている。NPA
調査チームや他のNGO、そして一般市民もこの道路を頻繁に使用していた。
1998 年にはカビンダ、クネーネ、南ルンダの各州で調査が行われ、その報告書も各方面に配られた。クアンド・クバンゴ州での調査は1998
年末に一時中断してから再開されたが、州各地で継続する戦闘のため、安全と思われる州都周辺40km
範囲内でのみでしか行われなかった。NPA によって調査が当初予定されていた15の州のうち、北ルンダ州のみが未だに調査が行われていない州であり、4
月に一旦調査を始めた時点で戦闘と略奪の危険性から調査が中止されたままである。この州はアンゴラの中でも最も高いダイアモンドの生産率を誇る州であり、経済的な利益獲得競争によって引き起こされる様々な脅威から、もっとも危険な州へと化してしまった。NPA
はまた2000 年にモシコ州でも調査を始めたが、これによって同州はNPA 調査チームが調査を行う16
番目の州となった。1998 年の11 月から12 月と1999 年にクネーネ州では補完的なフィールド調査も行われた。
2.回避教育
2−1 はじめに
回避教育プログラムは、地雷によって引き起こされる破壊的状況を包括的に問題提起することをその目的としている。回避教育を実施する諸機関は地雷事故防止のための正確な情報の提供を行い、国内および国際的な地雷廃絶キャンペーンにおいて積極的な役割を果たさなければならない。さらに、回避教育プログラムは地雷
が埋められている農村や国内避難民キャンプに住む成人と子供に対して、地雷や不発弾の危険性について教育を行うことをもその目的としており、緊急性を伴う状況において非常に有効的であることが知られている。NPA回避教育トレーニング・プログラムは2000
年度に以下のプログラム・パートナーに対して、回避教育コースと同コースを履修済みの人向けの復習コースを実施した。
Danish Refugee Council
Medico International
Trinidade-NI
GAC
Clube de Jovens da Huila
Theatre Groups: Tumbwanza-Bagos, Palanca Negra, Enxame de Abelhas
回避教育コース及びその復習コースにおいて、NPA のトレーナーは以下の新しいコンセプトに関して説明を行った。
事後評価チーム− 事後評価チームは、回避教育チームがそのプログラムを実施した農村や他の場所を約一ヶ月後に再訪し、プログラムの成果を評価するとともに、必要であればコミュニティのアドバイザーとして活躍する。
学校、農村、国内避難民キャンプの子供を対象とした回避教育− このプログラムは特に各々の場所で子供を対象とした回避教育と情報収集を目的としている。
家庭訪問− インストラクターが個々の家庭を訪問し、回避教育を行う。大人数を対象としたプログラムと比べて、人々の日々の生活を妨げることなく、より正確にそして凝縮された形で情報を提供できることが、このプログラムの利点といえる。
2−2 トレーニング・プログラム
トレーニング・プログラムは初めに地雷について簡単な説明を行い、続いて以下の5つのキー・ワードについてワークショップを開き、そこにおいて農村や国内避難民キャンプでインストラクターとなる訓練生がそれぞれのキー・ワードに関連する体験談を話し合い、知識を深めることを目的としている。
認識− 地雷がいかに作動するのか、またその危険性や効果について認識できるようにする。
危険性− 地雷や不発弾が彼ら自身や家族、友人等にもたらす危険性に関しての広い知識を習得する。
?回避− アンゴラにおける地雷状況を把握することによって、自らが住んでいる地域だけでなく、他の地域についての情報をも収集し、いかに行動すべきかについての知識を得る。
注意喚起− 地雷が埋められている場所や危険性について注意を促す標識や媒体(公式や非公式を含めたもの)の使い方や意味に関する知識を深める。
模範的行動−地雷や不発弾を見つけた場合や、それらが埋設されているとされる地区へ侵入した際にとらなければならない行動を習得する。
2−3 回避教育− プレゼンテーション
回避教育プログラムは、地雷や不発弾が日々の生活を脅かすとされる地域に住む人々を対象に行う。長い講義形式のプログラムを嫌う子供たちもその対象としているため、ロール・プレイ形式が教育方法として採用されている。回避教育プロジェクトは以下の3つのフェーズに分かれている。
・ 国内避難民キャンプの人々を対象にしたもの
・キャンプではない避難先の場所に一時的に住む人々を対象にしたもの
一般的なコミュニティの子供と成人を対象としたもの
回避教育プログラムはアンゴラ国内全土にわたって行われているが、特にNPA のチーフ・トレーナーが訪問・した場所においては、学校や避難民キャンプといったコミュニティ全体を巻き込んでプログラムを行うため、その効果も他の場所よりも大きいといえる。また、NPA
の技術援助によって行われているプログラムにおいては、以下の成果が報告されている。
・長年にわたって埋められていたあるいは露出した地雷や不発弾について、色、形、状態などの違いが分かるようになった。
・ 農村内外において地雷や不発弾を発見した場合に、誰に届けなければならないかを知った。
・今まで見たことの無い物を見つけた場合や遊び道具に使いたいと思うものを見つけた場合、それらが危険である可能性があることを知った。
・危険な状況に遭遇した場合に、自らや友人達とどのような行動をとらなければならないかを知った。
・地雷が埋められていることを知らせる標識を認識し、どこが危険地帯であるかを知ることができた。
・同じコミュニティに住む人々にいかに地雷に関する情報を伝えるべきかを知った。
・事故につながりかねない危険な行動をとる人々に対して、順序を立ててそのような行動が危険を伴うものであることを知らせる方法を学んだ。
2−4 地雷・不発弾事故統計
以下に掲げるデータは詳細に記されているが完全なものではなく、かなりの点において未知の部分が残されている。例えばモシコ州の例を挙げると、同州は最も多くの地雷事故が報告されていると同時に、地雷による被害が最も酷い州の一つとして知られているが、このデータは技術的により高い情報収集・分析方法を用いた結果でもある。前述のように不安定な治安状況から、情報が決定的に欠落している地域が多々あり、したがって多くの負傷者や死者が統計に反映されていない。以下は1999
年に行われた統計結果である。
グラフ1 <地雷事故発生時に被害者が行っていた活動>
グラフ1からも分かるとおり、殆どの事故が道路上で被害者が旅行目的で歩行している際に起きている。また、農民も畑などでの作業中に事故に遭う可能性が高いことも分かる。その理由としては、地中から高く育つ草や農産物の中では、ワイヤーを使った地雷や他のブービー・トラップが仕掛けられている場合が多いためである。全事故数の75%にあたる814
件が軽傷・重傷につながるものであり、また25%が死亡につながる事故であった。事故が最も多く報告されている州は、モシコ、マランジェ、ビエ、ウアンボ、ウイジェの各州である。
0
100
200
300
400
500
事故件数
系列1 19 46 14 20 110 57 1 428 119
水汲み遊び狩猟歩行耕作薪採り家畜番往来その他
10
0
100
200
300
400
女性8 28 35 80 51 6
男性5 54 53 326 122 37
不明0 0 0 2 0 7
4歳以下5〜12歳13〜18歳19〜35歳36歳以上年齢不明
り、これらの州は最近紛争が再開された州でもある。
グラフ2 <ジェンダー別地雷事故発生時に被害者が行っていた活動>
旅行中、男性のほうが女性より多く事故に遭遇している。これは男性が女性よりも頻繁に旅行していること
を示している。同様に伝統的に行う狩猟においては男性が、焚き木探しでは女性が、夫々他の異性よりも僅か
ではあるが多く事故に遭っていることが分かる。また農作業中の事故件数は全体で2番目に多いが、事故の発
生率では男女とも殆ど同率である。
グラフ3 <事故被害者の年齢とジェンダー>
0
100
200
300
400
女性5 13 3 7 54 31 0 83 12
男性14 33 11 13 56 25 1 339 105
不明0 0 0 0 0 1 0 6 2
水汲み遊び狩猟歩行耕作薪採り家畜番旅行その他
グラフ4 <市民・軍人別事故被害者数>
グラフ3において19 歳から35 歳までの人口の中で男性の事故被害者数がかなり高くなっているが、これはこの年齢グループの男性が軍隊に招集されやすいためであり、したがって被害に遭った男性は現在軍に在籍している人々と思われる。しかしながら、グラフ4が示すとおり被害総数では軍人よりも市民の方が事故に遭遇していることが分かる。モシコ、マランジェ、ウイジェの各州では軍人の事故被害者数が高くなっており、これはこれらの州での軍事活動が高いことから説明できる。ビエとウアンボの各州でも最近戦闘が行われたが、あまり高い被害者数を示してはいない。ただ全体的に見れば、最も高い被害者数が表れている州は同時に国内避難民の数も高い州であり、ビエ、ウアンボ、マランジェ、モシコ、ウイジェの各州での市民被害者数の高さ
がこの事を示しているといえる。
上述の各州での市民被害者数の多さはまた、これらの州が政府軍と反政府軍の前線地帯であり、したがって新たに地雷が埋設された可能性が高いことも示しているといえる。この場合、市民はこれら新たに埋設された地雷について知る術も無く、よって事故に遭った可能性が高い。調査中に最も正確な情報を提供してくれたのは地元民である市民であり、彼らは長年にわたって地雷の脅威と共に暮らし、どこに地雷が埋めてあるかを知っている人々である。不運にも実際の被害に遭って地雷について知ることになった場合もあるが、戦争の初期の段階で軍がどこに地雷を埋めたかを目撃している場合も多い。避難民は地元を離れて未知の土地に逃げてくるため、こうした知識に欠けており、したがって事故に遭う可能性が必然的に高くなる傾向にある。
0
20
40
60
80
100
120
140
Bengo
Bengucla
Bie
Cabinda
Huambo
Huila
Kuando Kubango
Kuanza Norte
Kuanza Sul
Kunene
Luanda
Lunda Norte
Lunda Sul
Malanje
Moxico
Namibe
Uige
Zaire
民間人
軍人
不明
グラフ5 <年齢別地雷事故発生時の被害者が行っていた活動>
対人地雷が最も高い事故原因であることは言うまでもないが、不発弾も特に子供に対して大きな脅威となるのは、グラフ5とグラフ6を見ても分かる。ジェンダーと年齢を見ると、男子の方が女子よりも見知らぬ物に対して興味を示す場合が多く、したがって事故に遭う可能性も高くなっている。また、19
歳から35 歳までの年齢グループでも、労働生産力が高くまた移動性も高いことから、すべての交通手段に影響を及ぼす対戦車及び対人地雷による被害に遭う可能性が高くなっている。
グラフ6 <年齢別の、事故の原因となった爆発物>
0
50
100
150
200
250
300
水汲み遊び狩猟歩行耕作薪採り家畜番旅行その他
4歳以下
5〜12歳
35歳以上
年齢不明
0
50
100
150
200
250
300
4歳以下5〜12歳13〜18歳19〜35歳35歳以上年齢不明
対人地雷
対戦車地雷
不発弾
不明
2.5 調査結果
以下は調査報告を基にして作成した地雷及び不発弾が埋められているとされる場所を示したものである。
(これは1995年から今日にわたって行われたレベル1調査結果を基にしたものだが、どれくらいの期間埋められているかは示しておらず、全国の埋設状況の程度と場所を示したものである。)
ベンゴ州
1995年に国内避難民のベンゴ州北東部への帰還を促すために始められた調査は、後に全州への包括的な調査を生み出す結果となった。当初は北部を中心に進められたが、その後調査は全州をカバーすることとなり、より完全な査定が行われた。国連アンゴラ地雷除去プログラム(UNDPA)の依頼により、まず最近まで戦闘状況にあり、約4万人の避難民の帰還が予定されている北部での調査が行われた。NPAによるこの調査結果は、避難民の帰還援助計画の骨子の一つとなった。すなわち、地雷確認作業と除去作業の重要な情報源となったばかりでなく、避難民帰還の際の道路メインテナンス作業計画を実施する上での情報源ともなった。またこの調査結果は、同州で活動しているNGOであるMgMへの重要な情報源ともなった。同州内で調査が行うことができなかった地区は北東部のキゼーレとキシコであった。
北クワンザ州
1995年末に二つの調査チームが同州南部で限定的な調査を行ったが、UNITA幹部が同州の他の地区への立ち入りを禁止したため調査は中断してしまった。1996年、政治的状況の変化により同州での調査が可能になり、同年の8月から10月の間に、同州のほぼ全域をカバーする事ができるようになった。特に同州で重要な地区は北部へと繋がる幹線道路であり、この道路はルアンダから東へマランジェ、北ルンダ、南ルンダへと続き、大型トラックが通れる唯一の道路で交通量も多い。同州での調査は1996年11月に終了したが、UNITAによる同州北部に関する情報はあまり信頼できるものではなく、サンタ・マリア北部からンダラタンド、ルカラ周辺については、レベル1報告書が一部しか提出されなかった。
ベンゲラ州
アンゴラ政府軍とUNITAからの協力によって、1996年に同州の殆どの地区で調査が行われた。しかし、政府軍やUNITAの連絡役との調整と、信頼性の高い情報の収集が問題として残った。軍部との関係は
良好であったが、それでも調査を行う上で困難さを極めた地区がいくつかあり、これらの地区は主に治安状況の悪い中部と南部であった。ハイジャックや他の治安状況の悪化から、いくつかの主要道路で国連アンゴラ監視団(UNVEM)部隊が出動したが、この事が逆にそれら道路周辺での地雷確認作業を困難にさせる結果を招いた。しかし1995年に最初の作業許可が下りて以来、調査チームは全州にわたって調査を行い、いくつかの問題に遭遇したものの、1996年に報告書を提出するに至った。しかし、南西部、特にバイア・ファルタとションゴロイでは治安状況から調査は限定的なものとなった。
マランジェ州
マランジェ州での調査は1996年に開始され、同州を基点に活動しているNPA地雷除去チームの協力により、当初マランジェ市周辺に調査の焦点を当てた。その後調査は他の地区にも及んだが、不安定な情勢が調査に遅れをもたらした。同州での軍事状況は他と比べて非常に不安定であり、それは今日までも続いている。他のNGOの活動と避難民の帰還を支援するための調査を行ってきたNPA調査チームは、同時にレベル1包括的調査をも達成するための調査も行い、1996年一年で大きな成果をもたらした。このNPAチームの努力によって、他の開発援助プログラムが同州で実施されるようになった。
1999年には同州でさらに調査が続けられ、特に州都周辺部での調査が多く行われた。マランジェ−ルアンダ道路での状況も良くなっており、また一般市民の車両も多くマランジェに到着し、過去2ヶ月間においては同道路における襲撃も報告されていない。カンガンダラに続く道路も安全であり、夜間でも使用できるようになっている。また、マランジェで活動するNGOグループが人道救援を目的として先月この道路を使ってカンガンダラを訪問した。マランジェ−カランデュラ道路も再開したが、昨年末に報告された地雷事故や襲撃事件の影響で、あまり頻繁には使われてはいない。同州は14の地方都市と35の農村地区を包含しているが、5つの地方都市と12の農村地区のみが政府の勢力下にある。1999年末にかけて治安状況が段々とよくなり、軍事・政治状況の良化からこれからもさらに治安が良好になるものと予想される。しかし、昨年戦闘が行われた地区に関する地雷状況についての情報は未知であり、多くの被害が出ているものとも予想される。
ウイジ州
67の地雷埋設場所が同州で確認されており、北東部のキンベラとサンタ・クルズを除いては、全州移動可能である。州東部からキンベレへと続く道路では、地雷埋設場所がいくつか確認されており、重要地区として指定された。ベンベ市でも未だ確認されていない地雷埋設場所があることが報告されている。2000年に州都であるウイジと滑走路のあるネガージとを結ぶ道路が閉鎖されたが、これは戦闘の激化だけでなく新たな地雷の埋設によるものである。この関係から地雷事故も報告されており、NGOも活動の一時中断を余儀なくされ、またウイジ空港の設備悪化によって、人道援助活動の継続も困難になってきている。
ザイーレ州
同州は1997年の春と夏にかけて調査が行われた。最も地雷が埋設されているとされる地区はソヨ市であり、これは同市で戦闘が最も多く行われたとともに、石油精製所があることから説明できる。同州の調査では、
71のレベル1報告書が提出された。調査結果は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の難民帰還プログラムや同州の資源開発計画の情報源ともなった。
南クワンザ州
同州での調査では151のレベル1調査報告がなされた。同州は政府軍とUNITAとの勢力によって二分されており、戦闘が多くなされた中部に地雷がより多く確認されている。同州は肥沃な土地を有し、また地雷が多く埋設されているとされる地区に人口が集中している。ムセンデ市とリボロ市での調査は、1997年に情報公開が限定されたため不完全のままである。
ウイラ州
同州での最初の調査は4ヶ月をかけて1997年に終了し、68の地雷埋設場所を確認した。同調査は北部の5つの都市が州政府の管轄下にあった時期に行われたが、移動や情報収集に関しては問題はなかった。また同調査は約6万人の避難民の帰還計画の実施にあたって、重要な役割を果たした。
同調査は道路や橋の最近の状況の情報も提供し、この情報は世界食糧計画(WFP)の同州北部における準幹線道路網修復計画の進行にも役立った。北部地区においては略奪行為による危険のため、「カシピール」と呼ばれる地雷防御装置が付いた車両を借り調査を行った。キレンゲス市とウアンボ州と接する北東部地区の調査については、移動と情報収集が限定されていたため、不完全なもに終わった。1999年と2000年の初めには、同州においてさらに調査が行われ、現時点での各道路へのアクセス状況について特に焦点が当てられた。また、他に調査結果によって明らかになったことは以下の通りである。
ルバンゴ/マタラ/メノンゲ− 東部:ルバンゴからマタラへの通行に関しては、軍の同行は必要としない。日中のみ通行が可能で、地雷による事故は報告されていない。マタラ−メノンゲ道路は通行可能だが、軍の同行が必要である。特にウイラ州とクアンド・クバンゴ州との州境にあるクバンゴ周辺において、伏兵攻撃と対人地雷事故がで報告されている。
ルバンゴ/キレンゲス/カルケンベ− 北東部:同道路は民間の車両やNGOの車両によって使われているが、伏兵襲撃行為と対戦車地雷による事故のため、あまり多くの交通量はない。在ルバンゴのUCAH代表によると、UCAHや地元自治体との事前の話し合いがなくこの道路を使用した場合、非常に危険であるとのことである。西部と南部の状況は比較的穏やかであり、同地域の道路を使用する場合、襲撃や地雷事故の危険性は全く無いといってもよい。
ナミベ州
ナミベ州での調査は1997年に行われた。調査時は同州は政府の勢力下にあり、治安に関する問題は皆無であった。調査チームは同州のすべての道路網の調査を行い、29のレベル1報告書を提出することができた。
同州での地雷と不発弾の埋設状況を網羅したこれら報告書によると、同州での地雷埋設状況は他州と比べて最も低いことが分かった。
ルアンダ州
アンゴラの首都を中心とする同州は、地雷を防衛目的として埋設している地区がいくつか存在する。調査チームは州政府と政府軍と協力し調査を行ったが、地雷埋設地区が戦略上重要な地区として指定されているため、包括的なレベル1調査を行うことは出来なかった。また、最も調査の障害となったのは地雷に関する機密情報であり、これによって同州での調査は延期されたままである。
ビエ州
ハロー・トラストとケア・インターナショナルが同州での調査を行っているが、殆どの地区への立ち入りは
禁止されたままである。また、ハロー・トラストは以前地雷が埋設されていると推測されるいくつかの地区に
ついて再確認を行い、それら地区において地雷の存在が皆無であるとの報告を行った。
ウアンボ州
ハロー・トラストが長年にわたって地雷調査と地雷除去を同州で行っており、NPAとの協力関係の下、ウアンボ州に関する報告書を、INAROEEスタンダード型州レベル調査報告フォーマットを使用して作成した。
クネーネ州
クネーネ州における調査は1998年に行われ、46のレベル1報告がなされた。調査当初は東部州境で立ち入り調査が困難な地区がいくつかあったが、1999年には調査を行うことが可能になった。しかし、ナミビア国境周辺は治安の悪化から地雷埋設状況は流動的であり、地雷が埋設されていると推測される個所がいくつか存在する可能性が高い。地雷事故もいくつか報告されているが、これら事故はアンゴラ戦争初期に埋められた地雷であることが確認されている。道路網における稼動状況の調査も1999年末と2000年に行われ、北部へと続くオンジバ−クベライ間の道路は頻繁に使用されてはいるものの、2000年3月18日にクベライから何キロか離れた郊外での対戦車地雷による事故が報告されている。同事故は国連人道援助調整事務所
(OCHA)の車両も巻き込んだもので、同事務所の職員が両足を失ったとの報告がなされた。オンジバ/カアマ−
北西部:この道路は安全であり、頻繁に使用されているが、同時に同道路での襲撃事件も報告されている。
南ルンダ州
1998年の調査によって、58の地雷埋設地区が同州で確認され報告された。豪雨によって数週間ほどの遅れがでたが、他に調査の妨げとなる要因はなかった。よって、1998年4月に包括的かつ詳細なレベル1調査を行うことができ、同調査の報告書が関係者全員に配られた。調査は移動が困難な北東部の一端を除いてほぼ全州にわたって行われた。
クアンド・クバンゴ州
同州での調査は1998年5月に開始された。しかし、政治・軍事状況の悪化により、それまで調査を行っていた4つのチームが調査の一時中断を余儀なくされた。調査は2000年6月に再開され、安全とされる地区の40キロ四方を対象として調査が行われている。これまで、20の報告書が提出されたが、治安が良化すればさらに多くの報告がなされるものと予想される。
カビンダ州
同州は北部にある「飛び地」であり、コンゴ川北部とコンゴ民主共和国の一部に囲まれている。コンゴ民主共和国における最近の情勢が不安定かつ流動的であるため、陸路によって同州に行くことはできず、調査チームの物資・車両供給上大きな障害をもたらした。しかし、この障害は海路を使って同州まで車両や物資を輸送することで解決された。同州での調査では、一チームが2ヶ月にわたって調査を行い、50の地雷及び不発弾埋設地区を報告した。分離独立派のFLECの伏兵襲撃行為のため、北東部の国境沿いへの立ち入りが困難であった他は大きな問題はなかった。
紛争再開による被害の大きかった地区における状況を確認するため、1999年に11の州での新たな調査が行われた。幸運にも、殆どの地区で以前調査した結果と同じ結果が報告された。しかし、アンゴラ全土で地雷事故の数が増えており、これは紛争再開による避難民の増加と関係しているものと思われる。
調査結果からすると、地元民は殆どの場合地雷が埋められているとされる場所についての情報を有している。しかし、避難民は未知の土地に移り住んだ場合にこのような情報を有していないため、事故に繋がり易いと推測される。また不運にも、食料や薪を探すため仕方なく地雷があることが知られている地域に入り込んで事故に遭うケースもある。これら事故は戦火にあるいくつかの地区、特にクイト、ウアンボ、マランジェだけでなく、モシコ州のルエナやザイーレ州のマケラ・ド・ゾンボ、そして避難民の多く住む地区において発生している。
僅かだが、先の調査で安全と確認されている地区で地雷事故が発生していることも分かった。また、新たな地雷埋設地区もいくつかあることもわかった。これは特にクイトやウアンボ、マランジェの兵器が保管されているとされる軍事施設や警察署周辺である。このような以前地雷は無かったが新たに地雷が埋設されたとされる場所は、政府軍あるいは反政府軍が新たに勢力下に収めた場所であり、勢力強化のためにこうした行為を行っていると思われる。
紛争再開による被害の大きかった地区における状況を確認するため、1999年に11の州での新たな調査が行われた。幸運にも、殆どの地区で以前調査した結果と同じ結果が報告された。しかし、アンゴラ全土で地雷事故の数が増えており、これは紛争再開による避難民の増加と関係しているものと思われる。
調査結果からすると、地元民は殆どの場合地雷が埋められているとされる場所についての情報を有している。しかし、避難民は未知の土地に移り住んだ場合にこのような情報を有していないため、事故に繋がり易いと推測される。また不運にも、食料や薪を探すため仕方なく地雷があることが知られている地域に入り込んで事故に遭うケースもある。これら事故は戦火にあるいくつかの地区、特にクイト、ウアンボ、マランジェだけでなく、モシコ州のルエナやザイーレ州のマケラ・ド・ゾンボ、そして避難民の多く住む地区において発生している。
僅かだが、先の調査で安全と確認されている地区で地雷事故が発生していることも分かった。また、新たな地雷埋設地区もいくつかあることもわかった。これは特にクイトやウアンボ、マランジェの兵器が保管されているとされる軍事施設や警察署周辺である。このような以前地雷は無かったが新たに地雷が埋設されたとされる場所は、政府軍あるいは反政府軍が新たに勢力下に収めた場所であり、勢力強化のためにこうした行為を行っていると思われる。